異本十四 いざ桜
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昔、色好む人ありけり。男もさまかはらずもろ心にて、色好む女、これをいかで得むと思ふに、女もねうじうわたるを、いかなる所にかありけむあひみけり。男も女もかたみにおぼえけれど、われもいかで捨てられじと心の暇なく思ふに、なほ女出(い)でていなむと思ふ心つきて、
いざ桜散らばありなむひとさかりなれなば憂きめ見えもこそすれ
と書きつけていきけるを、驚きてみれば、なければいとねたくて、
いささめに散りぬる桜なからなむのどけき春のなをもたつめり
といへどもかひなし。
現代語訳
昔、恋多き女があった。男も同じく恋多き男で同じ心で、その色好みの女を、どうにかして手に入れようと思っていたところ、女も男を想い続けていたところ、どんな場所であったろうか、二人は出会ってしまった。男も女も互いに相手を愛しく思ったけれど、自分もどうにかして捨てられまいと心に暇なく思っていた所、やはり女は出て行ってしまいたい気持ちがしてきて、
いざ桜散らばありなむひとさかりなれなば憂きめ見えもこそすれ
(さあ桜よ、どうせ散ってしまうなら、花盛りの時期もあるでしょう。花盛りは短い間だからこそいいのです。長く咲いていると、残念な姿が見えてくることもあるでしょうから)
と書き付けて行ってしまったのを、驚いてみれば、女の姿が無いので男は妬ましくて
いささめに散りぬる桜なからなむのどけき春のなをもたつめり
(ほんのちょっとの間咲いていて散ってしまう桜なら、むしろ最初から咲かなければいいのに。桜が一切咲かなければ、のどかな昼の評判も立つだろうに)
と言ったけれど、どうにもならなかった。
語句
■さまかはらず 同じ様子で。 ■もろ心にて 同じ心で。 ■ねうじわたる 念じわたる。 ■かたみに 互に。愛しく。「契りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山波越さじとは」(清原元輔) ■心つきて 気になって。 ■いささめに かりそめに。ちょっと。 ■なをもたつめり 評判が立つだろう。前の章「異本十三 虫の音や」|次の章「異本十五 かはたけ」
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