八十六 おのがさまざま
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むかし、いと若き男、若き女をあひいへりけり。おのおの親ありければ、つつみていひさしてやみにけり。年ごろ経て、女のもとに、なほ心ざし果たさむとや思ひけむ、男、歌をよみてやれりけり。
いままでに忘れぬ人は世にもあらじおのがさまざま年の経ぬれば
とてやみにけり。男も女も、あひはなれぬ宮仕へになむいでにける。
現代語訳
昔、たいそう若い男が、若い女と情を通わせあっていた。それぞれ親があったので、遠慮して、情を通わせあうこともやめにした。長い月日が経って、女のもとに、やはり思いを果たそうと思ったのだろうか、男が歌を詠んで送った。
人類がはじまって以来、忘れることができない人なんてけしていなかったことでしょう。私たちもめいめい別の時間を過ごしたのですからね。
と詠んで女との関係は終わってしまった。男も女も、離れることができない同じ宮仕えに出ていたのだった。
語句
■あひいへる 「相言う」互いに語らう、情を通わせる。 ■つつみて 遠慮して ■いひさして 語り合うのをやめる。 ■「いままでに」 関係を絶つ歌と見ると「心ざし果たさむとや思ひけむ」からのつながりが悪い。言外に「それでも貴女を思っています」の心を含むか?
解説
愛し合っている男女がいたのです。しかし男も、女も、お互いに親に養われている立場だったので、親にあれこれ言われることを気兼ねして、別れてしまったのです。別れてしまってから、再会して、男が往時を思い出す歌を女に贈った、という話です。
男の歌は女との関係を諦めてしまっているようで、未練がただよっています。しかも二人は同じ主君のもとで宮仕えをしており、しょっちゅう顔をあわせているのです。関係が復活するかもという淡い期待がある一方、顔をあわせるのが気まずいような余韻のある終わり方です。