七十九 千ひろあるかげ
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むかし、氏のなかに親王(みこ)生れたまへりけり。御産屋に、人人歌よみけり。御祖父(おほぢ)がたなりけるおきなのよめる。
わが門に千ひろあるかげを植ゑつれば夏冬たれかかくれざるべき
これは貞数の親王、時の人、中将の人となむいひける。兄の中納言行平のむすめの腹なり。
現代語訳
昔、在原氏の同族の中に親王がお生まれになった。御産屋の祝い(出産後の祝い)に、人々が歌を詠んだ。外祖父側の老人(業平)が詠んだ。
我らの門に千尋もある広い陰を落とす大樹を植えたからには、わが一門は誰も彼も夏も冬も、大樹の陰で恩恵をこうむらないものはいないだろう。
これは清和天皇第八皇子貞数親王である。その時代の人々は、業平の子だと噂した。業平の兄行平の娘を母としてお生まれになった。
語句
■氏 同族の在原氏 ■皇子生まれたまへり 貞観17年(875年)在原行平女、清和天皇更衣文子が清和天皇第八皇子貞数親王を生む。 ■御産屋 みうぶや。出産後、三・五・七・九日目の夜に行う産養(うぶやしない)の儀。■御祖父がたなるけるおきな 業平。親王の外祖父にあたる老人。 ■「わが門に…」 「尋」は手を広げた長さで約1.8メートル。とても広く植物の陰がかかっているので、誰も彼も隠れる。つまり、恩恵をこうむる。 ■貞数の親王 ■中将 業平のこと。 ■中納言行平 業平の異母兄行平(788-873)。業平より7歳年上。須磨に流されていたこともあるらしい。
解説
在原氏は平城天皇から出ています。平城天皇の子の阿保親王が息子たちを臣籍に降下させた時に「在原」の姓を賜りました。元皇族とはいえ行平・業平兄弟の時代にはすっかり家運は衰えていました。この頃、藤原北家がさかんに皇室との縁組をすすめ、その一方で藤原氏以外の氏族を排除していったからです。紀氏や大伴氏、そして業平の在原氏も藤原氏によって排除されていきました。
そんな中、在原氏にとって久しぶりの喜ばしい出来事でした。行平の娘文子が清和天皇との間に親王を生んだのです。清和天皇第八皇子・貞数親王です。その喜びを業平が歌ったという話です。
この段では、貞数親王が業平の子だと噂があったことが語られていますが、実際はどうだったんでしょうか。業平ならありうる気もします。
とにかく貞数親王の誕生は、在原氏にとって久しぶりの喜び事でした。しかし残念ながら在原氏の再興にはつながりませんでした。貞数親王誕生の翌々年、清和天皇と藤原高子との間に生まれた貞明親王が皇太子に立ち、後に陽成天皇として即位します。