六十六 みつの浦
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むかし、男、津の国にしる所ありけるに、あにおとと友だちひきゐて、難波の方にいきけり。渚を見れば、船どものあるを見て、
難波津を今朝こそみつの浦ごとにこれやこの世をうみ渡る船
これをあはれがりて、人々かへりにけり。
現代語訳
昔、男が津の国に所領地があったので、兄弟友だちをひきつれて難波の方面に行ったのだった。渚を見ると、たくさんの船が浮かんでいるのを見て、
難波津を今朝見たのだが、三津の浦の浦ごとに船が多く見え、これがいわゆる海をわたる船、世の中を憂いつつ過ごす人に例えられるものなのだな。
この歌があまりに良いと思ったので、人々は帰ってしまった。
語句
■津の国 摂津国。現在の大阪と兵庫にまたがる地域。■知る所 所領地。 ■難波 現在の大阪の地。港があった。 ■「難波津を…」「みつの浦」は「三津の浦」で難波の別名。「見つ」を掛ける。「うみ」は「憂み」と「海」を掛ける。
解説
66段から69段までは摂津・和泉国から河内を経て伊勢までの旅の話が続きます。兄、弟、友達とともに所領地の摂津を訪れた業平。
朝、難波の海の渚を見ると、船がずらっと停泊しています。ああこれが、これこそが、海を渡る船。そしてこの、わびしくつらい世を渡る(憂みわたる)船なのだ。業平は「海」に「憂み」を掛けて、難波の海を、悲しく、わびしいものと見ました。
なぜ、悲しいのか侘しいのか?一つには、ハッキリしたことはわかりませんが、業平の兄行平が摂津須磨に流されたことがあったようです。
わくら葉に問ふ人あれば須磨の浦に
藻塩たれつつわぶと答へよ
たまたま訪ねる人があれば言っておいてくれ。あいつは須磨の浦で
藻塩が垂れるように、涙にくれているよと。
『古今集』の詞書にはこうあります。
「田村の御時に、事にあたりて津の国の須磨といふ所にこもりはべりけるに、宮にうちにはべりける人に遣はしける 在原行平朝臣」
文徳天皇の時代、ある事件に関与して摂津須磨という所にこもっていた時、宮中にある人に遣わしたと。
なぜ行平が流されたか事情はまったくわかりませんが、行平の弟の業平が摂津を「憂み」悲しく、さびしいと見ているのも、もしかしたら兄行平のことが関係しているかもしれません。