七十六 小塩の山

原文

訳+解説

むかし、二条の后の、まだ春宮の御息所と申しける時、氏神にまうでたまひけるに、近衛府(このゑづかさ)にさぶらひけるおきな、人人の禄たまはるついでに、御車よりたまはりて、よみて奉りける。

大原や小塩の山も今日こそは神代のこともおもひいづらめ

とて、心にもかなしとや思ひけむ、いかが思ひけむ、しらずかし。

大原野神社
大原野神社

大原野神社
大原野神社

現代語訳

昔、二条后藤原高子がまだ皇太子の御息所と申されていた時、藤原氏の氏神を祭る大原野神社に参詣されたところ、近衛府に仕えている老人が、人々が衣などの褒美を賜るついでに、御息所の御車より褒美を賜って、そのお礼として歌を詠んで奉った。

大原野神社よ。小塩山も今日は、神代のことを思い出していることだろう。

と詠んで、翁は心に深く嘆いたであろうか、どう思ったか。それはわからない。

語句

■二条の后 藤原高子(842-910)。藤原長良女。貞観8年(866年)清和天皇の女御となる。陽成天皇の母。■春宮の御息所 皇太子(春宮)の母である女御・更衣。高子の産んだ貞明親王(後の陽成天皇)は貞観11年(869年)立太子。 ■氏神 藤原氏の氏神・天児屋根命(アメノコヤネノミコト)などをまつる大原野神社(西京区大原野南春日町)。小塩山のふもとにある。 ■近衛府 皇居の警護、天皇行幸の警護を行う役所。■おきな 主人公。在原業平と見られる人物。 ■禄たまはる 衣などを褒美として下される。 

解説

二条の后藤原高子と業平の関係の後日談です。高子と清和天皇との間に生まれた貞明親王が皇太子に立った頃、高子は恒例の大原野神社参詣を行います。大原野神社は藤原氏の氏神天児屋根命(アメノコヤネノミコト)などをまつる現京都西京区の神社です。

業平は近衛府の役人として随行します。時に業平40代後半。当時の感覚では「翁」といってもおかしくない年齢です。お供の人々が褒美の品を賜る中、業平は人づてではなく、直接高子から賜ります。そこで詠んだ業平の歌。

大原野神社よ、小塩山も今日は、神代のことも思い出しているでしょう。神代のこととは天孫降臨の際に、天孫ニニギノミコトを藤原氏の祖であるアメノコヤネノミコトが守護し奉ったことです。藤原氏の末裔である御息所が参詣している今日だからこそ、その神話の昔のことを小塩山も思い出しているでしょうと。

表面上は神話の話ですが、その奥には、二人の個人的な関係を言っているようです。若き日に私達は通じ合いましたよね。あの昔を、貴女は思い出してくださっているのでしょうと。まわりの人々には単に神話の話を詠んだように見せて、車の中にいる高子にだけは、意味が通じるように詠んだのかもしれません。