十二 盗人
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むかし、男ありけり。人のむすめを盗みて、武蔵野へ率てゆくほどに、ぬすびとなりければ、国の守にからめられにけり。女をば草むらのなかに置きて、逃げにけり。道来る人、「この野はぬすびとあなり」とて、火つけむとす。女わびて、
武蔵野は今日はな焼きそ若草のつまもこもれりわれもこもれり
とよみけるを聞きて、女をばとりて、ともに率ていにけり。
現代語訳
昔、男がいた。人の娘を奪って、武蔵野へ伴っていったところ、盗人であるので国守に逮捕されてしまった。その逮捕される様子は、男が女を草むらの中に置いて、逃げていった。後を追ってきた追手が「この野には盗人がひそんでいる」と、火をつけようとする。女は悲しんで、
武蔵野を今日は焼かないでください。私の夫も隠れていますし私も隠れていますから。
と詠んだのを聞いて、追手は女を取り戻して男とともに連れていったのだった。
語句
■「武蔵野は…」 「な…そ」は禁止。「若草の」は「つま」の枕詞。「つま」はここでは夫。
解説
身分違いの恋をした男が、都にいては女と添い遂げることができないので女をさらって地方へ逃げていく、という話です。
六段の「芥川」と共通した趣向です。結局、男は逮捕されるのですが、その逮捕されるまでの経緯を語った話です。
男は女を草むらの中に置いて逃げていく。これは女の見捨てたのではなくて、いったん隠していて後で合流しようということだったのでしょう。
そこへ追手が追いかけてきて、「この野には盗人がひそんでいるから火をつけよう」という。それを聞いて仰天した女が、武蔵野を今日は焼かないでください。私の夫も隠れていますし私も隠れていますから、という歌を詠むのです。
すると、追手に場所が知られてしまい、女はからめとられて、男とともに連れて行かれた…という話です。
ヤマトタケルがサガム国の野で役人に騙されて野に火を放たれたところ、草薙の剣をふるって火の勢いを弱めて助かったという話が、念頭にあるようです。『更級日記』の竹芝の話など、高貴な女性を奪って逃げる話は多いです。