百十四 芹河行幸

むかし、仁和の帝、芹河に行幸したまひける時、いまはさること、にげなく思ひけれど、もとづきにけることなれば、大鷹の鷹飼にてさぶらはせたまひける。すり狩衣(かりぎぬ)のたもとに書きつけける。

おきなさび人なとがめそかりごろも今日ばかりとぞ鶴も鳴くなる

おほやけの御けしきあしかりけり。おのがよはひを思ひけれど、若からぬ人は聞きおひけりとや。

現代語訳

昔、仁和の帝が芹河に行幸された時、男を、大鷹の鷹飼としてお供させた。今は年をとって、そのようなことは似つかわしくないと思ったが、以前就任していたので、お供させたのである。男が、摺模様のある狩衣のたもとに書きつけた。

いかにも老人というやつれた姿ですが、人々よ、とがめないでください。狩りのお供をして狩衣を着るのも今日限り。狩場の鶴も今日を限りと鳴くことでしょう。

これを聞いて、帝のご気分は悪かった。男は自分の年齢のことを思って詠んだのだが、若くない人は自分のこととして聞いたのだった。

語句

■仁和の帝 光孝天皇。仁明天皇の皇子。若くして退位させられた陽成天皇の跡を継いで55歳で即位。58歳で崩御。在位中の年号から「仁和の帝」と称される。 ■芹河 京都市伏見区の鳥羽離宮跡の南を流れていた。仁和2年(886年)12月14日行幸(『三代実録』) ■にげなし 似つかわしくない。 ■もとつきにける 以前その役に就任していた。 ■鷹飼 鷹狩用の鷹を飼いならす役の者。 ■すり狩衣 摺模様をほどこした狩衣。 ■「おきなさび…」 在原行平この年69歳。「おきなさび」は老人らしいなりをすること。「な…そ」は禁止。「なる」は伝聞推定。 ■おほやけ 帝のこと。 ■聞きおふ 聞き負ふ。自分のこととして聞く。

解説

仁和の帝は光孝天皇。55歳で即位し58歳で崩御なさいました。芹川は伏見の鳥羽離宮南を流れる川のほとりの地域です。光孝天皇が芹川に行幸された時に、鷹狩の役として一人の老人が付き添いました。

この老人こそが、在原業平といいたいところですが、業平は先代の陽成天皇の御世にすでに亡くなっています。だから兄の行平と思われますが、その老人が歌を詠みます。晴れの舞台とて鷹狩の衣装で飾り立て最後のご奉公。

どうかみなさん笑ってくれますなと。ところが光孝天皇もかなりのご高齢です。光孝天皇はご自分のことを言われたとお思いになり、ご機嫌が悪くなります。ああ言葉とは難しい。人へ配慮することの大変さよという話です。

光孝天皇の歌は百人一首15番に採られています。

君がため春の野に出で若菜摘む
わが衣手に雪はふりつつ

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