五十九 東山

むかし、男、京をいかが思ひけむ、東山にすまむと思ひ入りて、

すみわびぬいまはかぎりと山里に身をかくすべき宿もとめてむ

かくて、ものいたく病みて、死に入りたりければ、おもてに水そそぎなどして、いきいでて、

わが上に露ぞ置くなる天の河とわたる船のかいのしづくか

となむいひて、いきいでたりける。

現代語訳

昔、男が京の生活をどう思ったのだろうか、東山に住もうと強く思い込んで、

都は住みづらくなった。今を限りと、山里に身を隠せる宿を求めたいものよ。

こうして山里生活を続けるうちに、なにか病気になり、死にそうになったので、人々が男の顔に水を注ぎなどして、男は息を吹き返して、む

私の上に露が降りたようだ。この露は天の河の河戸を渡る船の櫂のしづくだろうか。

と歌を詠んで、息を吹き返したのだった。

語句

■東山 京都鴨川の東を南北に連なる丘陵。 ■思ひ入る 深く思いこむ。 ■もの 漠然と「あるもの」を指す。 ■おもてに水そそぎ 顔に水を注ぐ。 ■「わが上に…」「なる」は伝聞推定。「と」は天の河の河戸で、河が狭くなって渡りやすい所。

解説

男が東山に隠棲します。都での暮らしがよほどイヤになったんでしょうか。政治の世界の、ドロドロした足のひっぱりあいに嫌気が差したんでしょうか。

とにかく東山に隠棲して、ああサッパリした。これでようやく人間らしい暮らしができると安心したのもつかの間。男は重い病にかかってしまいました。

そうとう熱が出たんでしょう。ザバーーと顔に水を注がれて、ようやく意識を吹き返しました。「大丈夫ですか!大丈夫ですか!」「あ…ああ生き返った」

その時、顔にたれている露を見て「天の河を行く船の櫂の雫のようだ…」まぬけさと風流さが入り混じった話です。

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